(2003年の9月下旬〜10月上旬)
今でこそかなり内陸にあるけれど、ポンペイの街が噴火で埋もれた当時は海にかなり近かったそうです。
つまり交易で栄えた街だったわけです。
(私たちが入場したマリーナ門はその名の通り海に面した門で、船で運ばれてきた交易品などが行きかうところだったらしい)
当然、ローマ人以外の外国の人間も多く入って来るので、言葉が通じなくても一目で何の店か分かるように看板?は文字ではなくて絵だったよう。
撮ってきた写真はいずれも彫り物ですが、


売春宿の看板?は宿にではなく、少し離れた大通りの地面に彫られています。売春宿はこっちだよ、と案内しているらしい。
ちなみにこの写真を撮った時、「地面の何を撮っているの?」とばかりに通りかかった外国人にひょいっと覗かれ、大笑い(バカ笑い?)された…。
ところでこの写真、出しちゃっていいのだろうか?
モザイクかけるべき?
by かずりん